わたしの手仕事専科には、会津の銘品といえるイゲタ特級醤油があります。
これほどに全国から、ご注文をいただける食品は、少ないでしょうか。
それには、理由があります。
●イゲタ特級醤油は、会津の長い歴史と共に歩んできた、林合名会社の昔ながらの定番商品です。●アミノ酸液を使用しない本醸造で、特級の格付を受けています。
●生揚げしょうゆのかどを取って風味豊かに仕上げられていて、キレのあるすっきりとした後味は
有名料理研究家有元葉子先生や山本真理先生にも高い評価を頂いている逸品です。
●徹底した温度加減による天然醸造の特級醤油、一般市販の他の醤油と風味味とも比べてみて下
さい。
●イゲタ醤油(林合名会社)
日本の伝統的食品には、味噌、醤油、酢等があります。
わたしの知るところでは、1977年のアメリカの議会報告書マクガバンレポートでは、世界150カ国の食生活と健康から、日本の江戸時代の食を一番すぐれた健康食品であると伝えています。
発酵食品であることが、そして、添加物を含まない自然の食品だからといわれています。
わたしたちは、現代生活では、ありあまる富の文明生活をおくっています。
しかし、年間37兆円もの医療費を使用しながらも死亡原因の70%が、生活習慣病といわれています。
高度な医療を謳っている厚労省や医学界を尻目に可笑しなことです。
わたしたちの無知が、招いています。
グルメもひとつの文化と言えるでしょうか。
否定するものではありませんが、ひとは、もともと健康に生きられる術を神から与えられています。
ヒポクラテスの言う「ひとは、100人の名医をもつ。」が、それです。
それを助けるのは、自然の食です。
わたしたちの先祖から、ひきついでいる食を見直すことです。
■醤油の歴史■
伝統食品のブログ」は■ショッピング>日本の民芸/「下野・会津・津軽手仕事専科」のブログです。
株式会社とぴい企画080-5089-9227 topykikaku@ybb.ne.jp
これほどに全国から、ご注文をいただける食品は、少ないでしょうか。
それには、理由があります。
●イゲタ特級醤油は、会津の長い歴史と共に歩んできた、林合名会社の昔ながらの定番商品です。●アミノ酸液を使用しない本醸造で、特級の格付を受けています。
●生揚げしょうゆのかどを取って風味豊かに仕上げられていて、キレのあるすっきりとした後味は
有名料理研究家有元葉子先生や山本真理先生にも高い評価を頂いている逸品です。
●徹底した温度加減による天然醸造の特級醤油、一般市販の他の醤油と風味味とも比べてみて下
さい。
●イゲタ醤油(林合名会社)
日本の伝統的食品には、味噌、醤油、酢等があります。
わたしの知るところでは、1977年のアメリカの議会報告書マクガバンレポートでは、世界150カ国の食生活と健康から、日本の江戸時代の食を一番すぐれた健康食品であると伝えています。
発酵食品であることが、そして、添加物を含まない自然の食品だからといわれています。
わたしたちは、現代生活では、ありあまる富の文明生活をおくっています。
しかし、年間37兆円もの医療費を使用しながらも死亡原因の70%が、生活習慣病といわれています。
高度な医療を謳っている厚労省や医学界を尻目に可笑しなことです。
わたしたちの無知が、招いています。
グルメもひとつの文化と言えるでしょうか。
否定するものではありませんが、ひとは、もともと健康に生きられる術を神から与えられています。
ヒポクラテスの言う「ひとは、100人の名医をもつ。」が、それです。
それを助けるのは、自然の食です。
わたしたちの先祖から、ひきついでいる食を見直すことです。
・イゲタ特級醤油 1L (本醸造醤油) ¥500 ■商品コード FA-03001■ ▶購入する 原材料名/脱脂加工大豆 (遺伝子組み換えでない)、 小麦、食塩アルコール、 調味料(アミノ酸等)甘味料(甘草、ステビア) |
林合名会社の初代は、江戸初期の寛永時代に 会津松平藩祖・保科正之公に従って会津入りしました。 その後四代目・林光信が永寶屋を興したことが起源とされています。 冬は厳寒、夏は高温多湿と醸造に恵まれた会津盆地特有の自然風土を活かし、 原料にこだわった昔ながらの製法。そしてそれを昇華させる現在の技術。 今日も「イゲタ」は、昔と今とで会津の醸造文化を醸しています。 |
■醤油の歴史■
わが国固有の優れた調味料である「しょうゆ」の歴史は、まず「醤」に始まります。 醤には、魚などをすりつぶして塩漬けにした「魚醤」をはじめ、果実・野菜・海藻などを使った「草醤」、米・麦・豆などから作られる「穀醤」があり、弥生時代には保存食として造られていたといわれています。 奈良時代の大宝律令の食制では、大膳職の中に醤の製造を受け持つ部門もあり、また諸国からの納品の中にも醤鼓、未醤の名が認められています。 平安時代には、平安京の東西に建てられた市のうち、東市には醤店、西市には味噌店が設けられたと言われています。 |
鎌倉時代に入り禅僧確心が中国の宋に渡り、経山寺味噌の製法を紀州の湯浅地方に伝えました。 その製法過程の中で樽底にたまった液汁が、醤油の親戚とも言える「溜」のはじめてと言われ、それは現在の溜醤油に近いものだったようです。 室町時代になって書かれた「易林節用集」には、はじめて「しょうゆ」の文字があらわれます。 そして、江戸時代に入って、工業的に大量に造られるようになりました。 西鶴の「日本永代蔵」には大津のしょうゆ屋喜平次が描かれ、近松門左衛門の「曾根崎心中」の主人公徳平衛は、しょうゆ屋の手代という設定になっておりその発達のほどがうかがえます。 けれども、当時のしょうゆはまだまだ一部の人々だけの高価なものだったようです。 とは言え、この頃から商品として一般的に売られるようになったのでした。 |
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