2018年1月18日木曜日

浅炊き佃煮 葉唐辛子

手仕事専科には、伝統的食品の部門があります。
大田原市のとべや食品です。
ここ数日、浅炊き佃煮葉唐辛子の御注文が相次ぎました。

全国からです。
TVで取上げられたからですが、それだけ葉唐辛子が定着していることにもなります。
それというのも栃木県北部に位置する大田原市は、昔から、唐辛子の産地でした。
大田原市の特産唐辛子については、下の資料をご覧ください。
とべや食品  http://tesigotosenka.com/tobeya.html
手仕事専科 http://tesigotosenka.com
栃木改良三鷹
浅炊き佃煮葉唐辛子
●浅炊き佃煮  
 葉唐がらし
     
140g袋入り ¥350
 ■商品コードFS-03025■
     

注文(メール) 
唐辛子の葉を、薄味に丁寧に煮上げました。
やさしい味わいは、白いご飯に、

おにぎりに、お弁当にと大活躍の一品。
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Hot City Ohtawara」より
と う が ら し の 歴 史
<コロンブスが見つけた”赤いコショウ”>
 1492年8月、コロンブスはジパングの「黄金」とインドの「コショウ」を手に入れる目的で、スペインの港を出航して西へ西へと航行し、ついに西インド諸島を発見した。彼はここをインドと信じ、原住民をインディアンと呼び、また現地で目にした小粒の赤い色の辛い果実が原住民たちの利用の方法から、これがコショウであると思い込み自国へ持ち帰った。
         当初は香りが乏しく、あまりにも辛味が強すぎたために、ただ鮮やかな赤色の果実が観賞用として栽培されたのに過ぎなかった。しかしながら、スペインやポルトガルでは、当時のヨーロッパの人々が好んだ風味と辛味のあるコショウは栽培できなかったけれども、辛いとうがらしは容易に栽培することが可能であったため次第にスパイスとして利用されるようになっていった。
         こうして「とうがらし」は、わずか100年余りの間に世界中に伝播され、現在では世界の人々にとって欠かすことのできないほど利用されるようになって、人類の食生活に大きな影響を及ぼすに至ったのである。

<日本への伝来と原産地>
 16世紀の中・後期にポルトガルによって長崎に伝来したと推測されている。中国へ渡ったのは日本よりもずっと遅く、明の末期1640年頃というのが有力説らしい。
         とうがらしの原産地は中南米と考えられており、紀元前8000~7000年にはペルーの中部山岳地帯で、紀元前7000年頃にはメキシコで栽培され、アヒイ(Aji)と呼ばれていたことが考古学的に明らかにされている。すなわち「とうがらし」はアメリカ大陸において最も古くから栽培利用されてきた作物の一つと見なされているものであった。
 しかし、実際にスパイスとして広く多用されるようになった歴史は浅く、わずか400年ほどのことである。
大 田 原 & と う が ら し
  かつて日本では、盛んに『とうがらし』が栽培されておりました。最も盛んだった昭和38年ごろには年間約7,000tもの国内生産量があり、海外にも輸出されておりました。そのピーク時を支えたのは、ここ大田原で、当時は全国生産量NO.1を誇るほどの有数の唐辛子産地だったそうです。

 『大田原』と『とうがらし』の出会いは、昭和初頭の頃のことです。東京新宿にてカレー粉用唐辛子の製造販売に従事していた吉岡源四郎氏(吉岡食品工業(株)・創設者)は、当時唐辛子栽培の拠点としていた武蔵野周辺での運営に限界を感じておりました。吉岡氏は、耕作地拡大並びに品質改良を図るため、広大な耕地を備える栃木県に拠点を移し、那須地方を手始めに農家への栽培依頼を始めました。この活動に栃木県が大きな興味を示します。外貨獲得のための輸出農産物が乏しかった栃木県にとって、唐辛子は極めて魅力的な作物に映ったようです。補助金を含めた栃木県からの全面的なバックアップを受けた吉岡氏は、自身も栃木県・大田原に移住し、当地での大規模な栽培普及に乗り出します。
         その後吉岡氏は、太平洋戦争の混乱期に耐え忍びながら唐辛子の品種改良に心血を注ぎました。そして昭和30年、とうとう品種改良に成功し、それまでなかった素晴らしい品種を発見します。吉岡氏は、それを「栃木改良三鷹(以下栃木三鷹と略記)」と名付けました。栃木三鷹の特徴としては、①辛味が強い、②色調が良い、③形状が揃っている、④収穫量が多き、⑤摘み取り・乾燥などの作業が容易、⑥保存に強い などが挙げられ、栽培・流通する上で非常に優れた品種であることがわかります。その優れた特性から、栃木三鷹はその後あっという間に世間へ広まっていき、唐辛子における優良品種ブランドとしての地位を築いていきました。現在、日本で作られている一味・七味に使われているのは、ほとんどがこの品種からの唐辛子のようです。
         栃木三鷹の発見により、大田原での唐辛子栽培は飛躍的に増え始めます。栽培は昭和30~40年ごろに全盛期を迎え、当時はその生産量において全国でもNO.1のシェアを誇っておりました。また、市内では特に佐久山地区での栽培が盛んで、この地区では唐辛子の実が綺麗に色を付ける10月中旬頃になると畑が真っ赤に染まり、まるで「赤い絨毯」を敷き詰めたような美しい光景があたり一面に広がっていたそうです。唐辛子は、当初の県の期待通り、主要な輸出農産物として大活躍するようになっていったのです。
        大田原と唐辛子は切っても切り離せない 赤い糸で結ばれているのです。
<天井まぶり>
             「とうがらし」はかつて日本の主要な輸出用農産物として各地で盛んに栽培されていた。
天に向かって勢い良くその実をつくる姿から「天井守」と親しみを込めて呼ばれていた。
(栃木では守がなまって「天井まぶり」と呼ばれていた。)しかし、現在、北関東では
わずかに栃木、茨城の山里などにその名残りをとどめるだけである。

<とうがらし栽培>
 日本で「とうがらしの栽培が本格化したのは昭和初期といわれている。というのも、うどん
やそばの薬味にしか使われなかった「とうがらし」が家庭の食卓にカレーやウイスターソース
などがのぼるようになり、それらの原料として使われるようになったからである。
北関東地方で栽培が始まったのは、昭和5,6年ごろ。「とうがらし」の生産は東京の
カレーメーカーとの契約栽培がきっかけのようである。その後、「とうがらし」の栽培は
第2次大戦中に中断されたが、戦後は外貨獲得のために通産省などの奨励で主要な
輸出品目となった。しかし、どんどん円高が進んだことで、輸出が難しくなったことや
手作業が中心で手間のかかる「とうがらし」栽培が敬遠されたことから、現在では
消費量のほとんどを輸入している状況となっている。
  
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2018年1月16日火曜日

会津の郷土料理--凍み餅

手仕事専科には、伝統的食品の部門があります。
つい最近ですが、酵母倶楽部という「日本の伝統的食品を愛する会」を起ち上げました。
かつて、日本ビューホテル事業(株)から、7年程、弘前市の第3セクターの施設に出向していました。
もう、20年以上も前ですが、44歳のときです。
津軽の郷土料理を特に山と海の幸をたのしみました。地元から腕のいい調理人を採用でき、試作として、いろいろの食材からメニューを決めたりしました。
「津軽の味」、「郷土の味」です。
真鱈の白子や肝、山菜の「みず」や「山クラゲ」など、関東圏では、味わえない珍味、美味でした。あれだけ新鮮で、美味しい料理は、もうこちらでは、味わえないでしょう。

昨年から、会津喜多方の農産加工花菜の「凍み餅」「もちころ」をご紹介しています。
五十嵐美知代さんとは、グリーンツーリズムの関係でしたが、16年程前にお会いしました。
勤勉実直な五十嵐さんは、人生の酸いも甘いも知るご婦人です。
ご自宅に農泊花菜を運営し近所のご婦人たちの協力を得ながら、郷土料理を作り販売されています。
凍み餅は、東北や信越地方など寒冷地に暮らしてきた人々の「智恵の保存食」です。

----凍み餅(しみもち)とは、餅を水に浸して凍らせたものを寒風に晒して乾燥させた保存食です。別名は干し餅(ほしもち)、氷餅(こおりもち)、凍み氷(しみごおり)とも言われます。
大切な米を無駄にしない為に、くず米を餅やだんごに加工しました。
凍み餅は、凍結・乾燥という厳しい寒さと乾燥する冬の福島の気候を利用した保存方法で、長期間保存が可能。天明・天保の大飢饉の頃から作られていたといいます。
春になると水田と養蚕で、とても忙しくなるので、冬の間にたくさん作っておいて、小昼にみんなで食べました。

農作業は体力を消耗するので、とても喜ばれたものです。                         
凍み餅は、主に東北地方から信越地方にかけての寒冷地で作られています。特に炊飯には向かない屑米を粉末状にして牛蒡などの野菜の粉とまぜて餅を作ってそれを氷餅とする場合もあり、伝統的に小正月前後に搗いた餅や残った餅を氷餅として加工して田植えの時期やむけ節句(6月1日)の際に食する地方が多いといいます。
糒と同じように水で戻して餅として食する他、炒って食したり、細かく砕いて和菓子の原料とする場合もあります。また、餅を蒲鉾型に薄く切って凍らせ乾燥させたものを氷餅と呼ぶ地域もあります。

そんな凍み餅もちころですが、web上でご紹介して半年ですが、人気になってきました。
懐かしい郷土の保存食です。
コンビニやスーパーには、ジャンクフードと言われる食品が並んでいます。
こちらは、喜多方の「婆っぱ」のつくったおやつ「凍み餅」と「もちころ」ですが、歴史と伝統的な味と美味しさが、いっぱい詰まった食品です。
工業食品ではない、「婆っぱの伝統の味」です。
一度、会津の郷土料理の味をお試しください。
手仕事専科   http://tesigotosenka.com
農産加工花菜  http://tesigotosenka.com/nousankakouhana.html
農泊花菜     http://tesigotosenka.com/nouhakuhana.html
農産加工花菜の
五十嵐美知代さん
・凍み餅 甘味   140g                         
¥390
 ■商品コード FA-09001■
         
注文(メール) 
http://tesigotosenka.com/pic/FA-09pic/FA-09001.html
・もちころ しょうゆ味 70g                         
¥390
 
■商品コード FA-09101■       
注文(メール)
http://tesigotosenka.com/pic/FA-09pic/FA-09101b.html
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2018年1月14日日曜日

「酵母倶楽部」の発足

手仕事専科では、「和美との生活」を提唱しています。
その中に「・・・・自分の健康、家族の健康は、自分で守ること、・・添加物のない”自分食”」を提案しています。
古人の「生活の知恵」。薬(医)食同源のことばは、何方も聞いたことがあると思いますが、現代の忙しい生活観からは、実践が、難しいことでしょう。
「健康意識」を「人生の一番大切なもの」にすることです。

私自身も「薬食」の実践を心掛けています。「男子厨房に入るべからず」ではなく、長年「男子厨房に入る」を実践してきました。
その昔は、学生時代の下宿で、食事を作っていました。そして、2年間の海外旅行、ユースホステルでは、共同の厨房で料理を楽しんでいました。
就職先は、本格的なリゾートホテルでしたので、F&B部門では、和洋中の厨房をのぞき、お料理の素材と作り方を覚えてきました。また、ホテル営業として、お客様と「宴会メニュー」の打合せや、企画会議で「春夏秋冬の献立」を創ってきました。ホテル事業部では、津軽で郷土料理をメインに創作しました。郷土の方には、思いもつかない、上(かみ)の人だから考え付く郷土料理です。

その後にタヒチアンノニジュースと出会い、「生体恒常性」について、学びました。
「生体の本質的なシステムといえる恒常性の維持は、免疫系に内分泌系、精神神経が一体となり担っている。すなわち、健康の維持及び病気の治癒は、これらの生体恒常性維持機構による。」ということです。自然治癒力では、病気が医療の力を借りなくても自然に治って行くことになるのです。
 1977年にアメリカ議会で発表されたマクガバンリポートでは、江戸時代の食が、世界150ヶ国の調査から一番といわれています。それは、新鮮、無添加、発酵食品だからです。現代人の病気は、栄養失調によります。
「何故?」
私たちの日常摂取している食材は、栄養素不足の食材だからです。
江戸時代の食は、栄養満点の栄養素で満ちていました。
長年の「滋味」「滋養」という「食の智恵」です。

「酵母倶楽部」の発足(主旨)
1.自分の健康、家族の健康は、自分で守る。
2.江戸時代の食「新鮮・無添加」「発酵食品」を知る。
3.倶楽部登録することで、年間12回の発酵食品を体験できる。
  (頒布・選択 
 ・頒布スケジュール(2018年度・4月~3月)    
   4月 太田酢店

   5月 宇都宮餃子(ハシモト物産
   6月 とべや食品の味噌・漬物

   7月 ラーメンとん太(秀穂那須工場)
   8月 あま酒・味噌(宝来屋本店

   9月 磐梯鯉の甘煮(熊田水産)
   10月 イゲタ醤油・会津みそ

   11月 飛馬りんご(JA相馬村)
   12月 飯寿し

   1月 凍み餅(農産加工花菜)
     2月 那須みそ
   3月 鰊山椒漬(二丸屋武蔵亭


 ・「酵母倶楽部」のお申込み

4.健康体験・調理メニューの情報発信(交換等)。
5.製造者・販売者・顧客の相互発展と成長。
手仕事専科 http://tesigotosenka.com
2月の頒布
那須みそ
4月の頒布
太田酢店
6月の頒布
とべや食品
10月の頒布
イゲタ醤油・会津みそ
8月の頒布
あま酒・味噌
100年伝承の糀製法
12月の頒布
飯寿し・海峡漬
3月の頒布
鰊山椒漬・二丸屋武蔵亭
5月の頒布
宇都宮餃子・ハシモト物産
7月の頒布
ラーメンとん太(秀穂那須工場)
11月の頒布
飛馬りんご・JA相馬村
1月の頒布
凍みもち・農産加工花菜
 
9月の頒布
磐梯鯉の甘煮・熊田水産

ロジャーウィリアムズの「正常分子矯正医学」私たち成人の身体は60兆個もの細胞から成り立っています。細胞は生命の基本単位であり、栄養や酸素の供給がうまくいかなくなれば、その細胞は受け持っている働きが果たせなくなり、はなはだしい場合には死滅してしまいます。全身の健康を考える場合にも、細胞レベルで考察することは不可欠です。 ビタミンB群のひとつであるパントテン酸の発見者である故ロジャー・ウイリアムス博士は、名著、『健康になるための栄養学早分かり』(中央公論社)で、「細胞の生命を維持するためには、少なくとも18種類のミネラル、20種類のビタミン、8種類のアミノ酸が一定量揃い、相互に支え合っている状態で細胞外液に溶け込んでいることが必要である。」と述べており、必須栄養素は鎖で出来た首飾りのようなもので、「生命の鎖」と呼びました。一ヶ所でも細いところがあれば、容易に切れてしまうことが想像できます。
この46種類の栄養素は、どれかがひとつ欠けたとしても鎖としての働きは失われ、細胞の病変につながります。逆の見方をすると、細胞の健康度、元気度はその揃い方によって、極めて快調な状態から、死にいたるまで無限ともいえる様々な段階があるといえます。
アメリカでは、この生体内に本来あるべき分子をそろえ、正常て病気に対処しようという考え方が、栄養学から医学の分野にその実戦の場をひろげ、「ニュートリション・セラピー」の名のもとに成果をあげています。我が国においてニュートリション・セラピーは、「正常分子栄養学」とか「分子矯正医学(Ortho-Molecular Medicine)」などと訳されています。1970年代はじめにライナス・ポーリングが提唱した分子矯正医学は「通常体内にある分子を、各人の体が正常に機能するよう正しい分子濃度に調節する医学」ということを意味します。
細胞の栄養環境は、現実には必要な養分がいつも揃っているとはかぎりません。現代人の9割もの人が病気とまではいえないまでも、何らかの症状を自覚しており、病気とは診断されないけれど、健康とはいいがたい状況にあるというのは、むしろ何かが不足している状態であることを示しているといえるのです。そこで、これらの問題を解決するうえでポイントになるのが毛髪分析による生体内のミネラルチェックです。分析結果は身体内部の状況を語ります。
 
  
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2018年1月13日土曜日

人気の食菜酢--土作りから

昨日は、手仕事専科の食品部門の太田酢店を訪ねました。
太田酢店の社長、太田実氏とは、おなじ歳です。
彼は、小田急線経堂にある東京農大で、私は、もう少し先の生田にある明治大学の農芸化学でした。
当時は知りませんでしたが、同じ時代に4年間を過ごしていたことになります。
しかも微生物に関る学問です。

初めて太田実社長とお会いした時に鳥肌の立つような感動を覚えました。
昭和36年に先代が創られた「飲む酢」にさらに研究を重ねながら、こだわりの食酢を造られていました。土作りの大切さを得々と説かれて、また、生育環境として、まったく同じこと(年)は無く、今年良かったことが来年もということはないと言われました。
太田酢店の酢に出会った方々は、体質の変わるのを覚えて驚かれるといいます。それだけ、人間が本来必要とする栄養成分を多分に含んだ「酢」と言えるのでしょう。
現代は、工業食品と言う言葉のように、「添加アルコール」により、食酢を作られています。
鼻にツーンとくる酢は、本物ではありません。

本来の醸造酢は、まったくまろやかで、刺激臭は、無いものです。

採算性を度外視して、こだわりの食酢をつくられる太田実社長は、現代に在っては、数少ない「食のリーダー」と言えるでしょうか。日本に古来から伝わる「食文化」の「味噌」「醤油」「酢」「納豆」等は、本来発酵食品です。
先人の知恵は、計り知れないものです。
これらの「食」は、微量栄養素の宝庫と言える食品です。
私は、太田酢店の酢を日本国中に広げたいと考えております。
ぜひ、お料理のレシピーに加えて頂いて、日本人が古来から持っていた「本来の健康」を取り戻して頂きたいと思います。

太田社長と少しお話をしました。
「景気は如何ですか?」
福島原発以降、個人のお客様は、離れてしまったといいます。
先代から、50年大切につくってきた人脈・個人のお客様方ですが、放射能の影響を受けていると思うと足が遠のくのも通りです。太田酢は、健康志向の方だからこそ理解できる酢だからです。
太田酢は、従来から秋田県産のお米と青森県弘前市の農家の林檎を使っています。
こだわりの太田社長のお人柄から、太田酢店の商品を信じています。
40兆円もの医療費を使う国民の疾病の原因は、「栄養欠乏といえる食」と「生活スタイル」にあります。
その食に拘る太田社長の醸造する酢は、それらから、私たちを護るものです。太田酢は、私たちの必要とする、「生体恒常性」を維持する「微量栄養素」を踏んだんに持つ食品だからです。

・食菜酢     ¥800  720ml
 ■商品コード FA-01009■
  6本詰め  
¥4,800
  12本詰め  
¥9,600
 ■1C/S 12本入箱
        6本入箱
  
ケース販売 ▶御注文(メール)
●米酢・ハチミツ・食塩・ニガリを加えた万能調味料。
ドレッシング、酢漬け、マリネも簡単に作れます。
煮物や炒め物の味付けにも一役かっています。
〇原材料:米酢(米・米こうじ 
福島県須賀川産)・食塩(国産)・はちみつ・にがり
〇賞味期限:730日
〇保存方法:直射日光・高温を避け、保存
〇製造期間:通年

昨日は、長年御愛用の方からの御注文でした。
食菜酢は、野菜がひきたつドレッシング風の「合わせ酢」です。
大人気の「食菜酢」です。
自家製ピクルスやマリネも、様々な食材に食菜酢をかけて漬け込むだけと簡単です。
肉・魚の煮込み料理にお使いいただくと、やわらかくさっぱりとした出来上がりになります。
特にトマトとの相性が良く、スライスしたトマトに食菜酢をドレッシング代わりにかけるだけ。
こんなシンプルな食べ方なのに、高級料亭や高級イタリアンと思えるほどのでき具合。
和にも洋にもなるこの美味しさに、料理の腕が上がったと錯覚さえおこります。
ご家族や周りの反応も大絶賛です。
本当は食菜酢をかけただけなんですけど・・・。
「一度使ったらもう手ばなせません。」の声から、大量に買い込まれる方も続出しています。

福島第一原発の事故の影響について
福島第一原子力発電所事故の放射性物質の拡散につきましては、皆様もご心配のことと詳察申し上げます。
当店では安全な原料(秋田産の米・青森産のりんご)を使用し、屋内の貯蔵タンク、又は瓶詰めして室内に保存されていた商品を皆様にお届けしております。
検査機関の判定でもセシウムは検出されておらず、安全性のお墨付きを頂いているものですので、安心してご利用頂けます。
材料にこだわり、仕込み後の味の調整は一切行わず、自然にまかせて熟成させたお酢本来の味わい。
効率を追求して作られた商品とは一味違う、太田酢店のお酢をぜひご賞味下さい。
                                   -(株)太田酢店 太田実-
 
 手仕事専科  http://tesigotosenka.com
お酢のレシピ http://www.yachiyonavi.com/no888.html

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