私の生まれ育った家は、明治時代の戸籍帖を覗くと那須郡稲沢村33番地と出て来ます。その後那須郡伊王野村1157番地となり、現在は那須郡那須町大字稲沢1157番地です。
祖父兼次郎は、伊王野村の時代に村会議員や村議会議長を務めていました。実直な人柄で村内でも人望が厚かったものと思います。祖父のエピソードを八歳年上の叔母から聞きましたが、当時飢饉から米が取れなかった時に米50俵を県に寄付したと聞きました。我が家に当時の栃木県知事小平重吉の名を刻んだお礼の記念品の掛時計がありました。我が家が特に大百姓で豊かだったわけではないと思います。また、当時は道幅の狭い村道が山裾にあり、日当たりが悪く冬はいつも霜柱が立ちぬかるんでいました。子どもの頃はその林道のような道が残っており、よく近道に使っていました。それに替わって新しい道が日当たりの良いところに作られていました。その道路計画予定地にある人々の土地の提供で道を作るのですが、1軒だけ提供することに反対していてどうしても首を縦に振らなかったようです。その家は結構確かりとした家だったのでしょう。今では大きな農家になっています。祖父は夜討ち朝駆けで土地の提供をその戸主にお願いしていたようですが、どうしても難しかったのでしょう。最後には彼の土地に変わり我が家の土地を彼に無償で提供することでそこに道を作ったといいます。その後、公民館の石碑にその祖父の偉業を彫り刻んであると叔母が教えてくれました。曾祖父母も祖父母も敬虔な浄土真宗(一向宗)の門戸です。越中富山砺波地方からの移住者で祖父は4代目となります。徳という言葉がありますが、徳を積むという気持ちがあったのでしょうか。
祖父兼次郎と伊王野宿にある麹屋さんのお爺さんとは、懇意だったようです。叔父や叔母も同じ年頃の子があり、叔父は婿に請われていたといいます。私も安子ちゃんという同級生の娘が居て、中学一年の時は、揃って学級委員をしていました。妹も同級生の女の子がいました。麹屋さんのお爺さんの満州従軍記を拝読したことがありますが、そのような時代に生きた人々です。その麹屋さんの那須味噌を私の手仕事専科のサイトでご紹介することは、因縁と思っています。
那須味噌は、本醸造です。香りも栄養価も市販のものと比較して数段に異なります。コロナ禍からか、以前の数倍のご注文となりました。リモートだからでしょうか、道の駅などで購入しておられましたが、現在は道の駅に行く機会が減り、どうしても通販からとなります。手仕事専科の那須味噌をご愛顧くださるお客様に感謝です。毎度有難うございます。
那須味噌 1kg×5袋 |
三五八漬けの素1kg コシヒカリ味噌800g 那須味噌1.5kg |
三五八漬 |
道の駅東山道伊王野の宿 |
彼岸花と三蔵川 道の駅東山道伊王野の宿の風景 |
株式会社とぴい企画080-5089-9227 topykikaku@ybb.ne.jp
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忘れられないふるさとの味、之からも守り、発展的展開を期待しています。
返信削除妖精のすむ森のトトロん家も、皆様のご協力で少しずつ整備が進んでおります。
少しでも故郷が、活性化する事を願ってます。
コメントを有難うございます。何方か存じませんが、伊王野か那須御出身の方でしょうか。私は伊王野、稲沢の出身ですが、他にも弁慶米やみどり米があります。皆知人の農家のお米です。理由なく取扱いご紹介しています。今後ともよろしく見守ってください。有難うございました。
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